2022年01月29日

父のくちぐせ の巻

 ここでも時々登場していた私の父
外国航路の船員をしていた。
その船の事故でもう40年前に亡くなった。

父は長野県出身(辰野町)なので
生粋の長野県民なのだが、船生活が若い頃から長く
船という特殊な生活環境の中で身についた
独特の言葉があった。

船乗りさんは広島や岡山の出身者が多いらしい。
戦時中、呉とかが空軍の基地であったことからか。

自然、言葉は広島弁をしゃべる人が多く
私の父もそれに染まり、
「~じゃけんのう」という話し方をしていた。

あとは、「べっぴんさん」という言葉もよく聞いた。
これは関西方面の言葉かな?

とにかく父はいろいろな地方の言葉がごちゃまぜに
なっていた。

その中で、今でも耳に残る言葉がある。
それは 「往生した」 というフレーズ。
往生するというのは、「弁慶の立ち往生」とか
「往生際が悪い」とかで使われる。

意味は、往生際というと「死に際」ということだし、
立ち往生するというと、「困った」という意味に使われる。
往生際が悪いというのは、「あきらめが悪い」時に使われたりする。

本当の意味は違うらしいが、父も「往生した」というのは
「困った」とか「大変だった」という時に使っていた。

が、あまりこの「往生した」という言葉
周りでは聴かれない。
使う人はいない。

これも地方によるのかな?

父は、年に数回しか家に帰ってこなかった。
帰ってきた時は、船で起こったことを面白おかしく
話をしてくれた。
一晩中話していた。
私達はそれをわくわくしながら まるで冒険のお話を聴く
ように聴いていた。

そんな時にこの「往生してのお」というフレーズが時々登場していた。
船生活・仕事の中で、困ったことが起き、
それをどうやって解決していったかとか、
困って助けを呼んだとか、
まるで海賊船のお話のようであった。

父も話が上手かったのだろう。

遠い外国の海の上での日々の生活、仕事
おかの上のせちがらい生活とは無縁の人であった。

父のくちぐせ の巻


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Posted by みなと at 11:45│Comments(2)懐かし話
この記事へのコメント
>sawchさん

随分と前にコメント入れてくださっていたんですね。
今まで埋もれてしまって気付かずに失礼しました。

えっ!!やはり戦前生まれですか?!
父も戦前生まれ(S5年)

父の年代の方々が使ってらしたんですね。

でも、今になり、私は父を真似して使ってます。
Posted by みなとみなと at 2022年07月18日 11:36
はじめまして、元大阪人です。
戦前生まれの世代の人は往生したわ〜と言ってました。
大変だった、というニュアンスでしたね。
その子ども世代の我々は使った事が無いです。
Posted by sawchsawch at 2022年01月30日 18:07
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