2017年11月15日
クイズです「智仁勇学修博信」に共通するものは? の巻
この漢字の並びに共通するものは何でしょう?
ある人達にとっては、すぐにピンとくるもの。
今、流行りのナゾトレでも何でもない。
伊那市立伊那小学校卒業生。
この小学校を卒業した人ならすぐにわかる。
答えは
「クラスの名前」だ。
忠孝文明節操 なんてのもある。
春夏秋冬天道民 なんてのはどうだ。
学年ごと、全部組の名前がこれら漢字一文字を使った名前だった。
私達の学年が、「智仁勇学修博信」。
私は1,2年生が修組で、3年から6年生が博組だった。
組の名前を言えば、私達より上か下からすぐわかった。
今でも使われているのだろか?
なんだか昭和初期のような感じがするが、1組とか2組とかよりずっと素敵だ。
あの頃、1学年が7クラスもあり、
全校生徒1600名以上の超マンモス校だった。
伊那小学校は他にも、通知表が全く無かったり、
クラスごとで動物を飼ったり、とうことで全国的の有名になった。
が、この組の名前はあまり取りざたされなかったように思う。
けど、わたし的には、この方がよっぽど注目して欲しかった。
伊那小学校は、私達在校していた時に100周年だった。
古い木造校舎で、窓はガラスで、
床はささくれていた。
隙間風が入り、窓側はガラスの隙間から雪が降ってきた。
冬はだるまストーブが炊かれ、
石炭で煙突が詰まると、教室中が煙だらけになった。

これは一番南側にあった鉄筋校舎。
唯一木造ではなかった新しい(?)校舎。
地下室があって、そこはかび臭かった。
今でもその匂いを想い出す。
他の方のブログで、他の木造校舎の画像をみつけた。

この画像、5年生のいた理科校舎に似ている。
下駄箱を過ぎて、階段を登ったところにそっくり。

そうそう。机と椅子はこうだった。
二人並びで、机を蓋がぱたんと開くやつ。
掃除の時、この机が重くて、運ぶのが大変だった。
もう、記憶の中にしかその風景はないけれど、
今でも憶えている。
昭和の懐かしい風景・・・・・・。
ある人達にとっては、すぐにピンとくるもの。
今、流行りのナゾトレでも何でもない。
伊那市立伊那小学校卒業生。
この小学校を卒業した人ならすぐにわかる。
答えは
「クラスの名前」だ。
忠孝文明節操 なんてのもある。
春夏秋冬天道民 なんてのはどうだ。
学年ごと、全部組の名前がこれら漢字一文字を使った名前だった。
私達の学年が、「智仁勇学修博信」。
私は1,2年生が修組で、3年から6年生が博組だった。
組の名前を言えば、私達より上か下からすぐわかった。
今でも使われているのだろか?
なんだか昭和初期のような感じがするが、1組とか2組とかよりずっと素敵だ。
あの頃、1学年が7クラスもあり、
全校生徒1600名以上の超マンモス校だった。
伊那小学校は他にも、通知表が全く無かったり、
クラスごとで動物を飼ったり、とうことで全国的の有名になった。
が、この組の名前はあまり取りざたされなかったように思う。
けど、わたし的には、この方がよっぽど注目して欲しかった。
伊那小学校は、私達在校していた時に100周年だった。
古い木造校舎で、窓はガラスで、
床はささくれていた。
隙間風が入り、窓側はガラスの隙間から雪が降ってきた。
冬はだるまストーブが炊かれ、
石炭で煙突が詰まると、教室中が煙だらけになった。

これは一番南側にあった鉄筋校舎。
唯一木造ではなかった新しい(?)校舎。
地下室があって、そこはかび臭かった。
今でもその匂いを想い出す。
他の方のブログで、他の木造校舎の画像をみつけた。

この画像、5年生のいた理科校舎に似ている。
下駄箱を過ぎて、階段を登ったところにそっくり。

そうそう。机と椅子はこうだった。
二人並びで、机を蓋がぱたんと開くやつ。
掃除の時、この机が重くて、運ぶのが大変だった。
もう、記憶の中にしかその風景はないけれど、
今でも憶えている。
昭和の懐かしい風景・・・・・・。
Posted by みなと at 13:22│Comments(0)
│懐かし話
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