2019年12月14日
なにものにもなれなかった自分 の巻
子供のころ、大きくなったら何になりたいと思った?
私は大きくなったら「漫画家」になりたいと思っていた。
そのために高校時代は美術の先生の家へ受験用の石膏デッサンや
鉛筆画を習いに通っていた。
最初は大学じゃなくて、アニメの専門学校へ行こうと
東京まで学校見学まで行った。
だけど、やっぱり大学で勉強がしたくて大学受験をすることにした。
大学では「マン研」に入って漫画を描き続け
出版社に投稿したり、アニメを作ったりしてた。
だけど、漫画家にはなれず就職はキャラクター玩具を作っていた
バンダイ系のポピーという玩具メーカーのデザイン会社に入った。
地元に帰って、地元の企業に中途入社した。
理由の一つに「ディズニーウオッチのデザイン」ができるとあったから。
それから数年間ずっとミッキーやドナルドの腕時計のデザインをしていた。
その仕事でアメリカへも行ってきた。
漫画家の夢はいつしか途切れた・・・・・・・・・
でも、自分の好きな「絵」や「デザイン」が仕事だったので
毎日が楽しくて仕方なかった。
会社を辞めて、デザインの仕事は今はボランティアでちょこっとお手伝いするくらい。
お店のケーキの箱にイラストを描くくらい。
ふと考えることがある。
私は大きくなって何になったのか?
カフェのオーナー
モノ作り作家
今の私に付く肩書きってそれくらいだろうか・・・・・?
企業に勤めるデザイナーは個人の名前はあまり出てはこない。
Gマークを受賞してもそれは企業の受賞であって、個人ではない。
だから一流デザイナーになれるのはごく少数の個人デザイナーでしかない。
私はデザイナーだったけれど、名も無い企業デザイナーだった。
会社を辞め、個人になったけれど、
何かで卓越しているわけではない。。
技術を持っているわけではない。
そんな人生でいいのだろうか?
と、ふと考える。
モノ作りをしたくて、いろいろとやってみたけれど、
ある程度はできるようにはなるけれど、
どれか突出して「これ」というものは無い。
好き だけで、やっている。
技術の卓越なんてのは、好きでやってその結果凄い技術が身につくもの。
最初から卓越した技術を身につけようなんてヨコシマな考えでは身につかないよね。
「好きこそものの上手なり」
これに尽きるような気がする。
「好き」を突き詰める。
その先に「なにもの」かが待っている。
自分がなるべく「なにもの」かが。
ああ、私は大きくなったら「なにもの」になるのだろうか?